2011.04.28 Thursday 01:39
両性具有のベルリン
Gary Numanの代表曲のひとつ、それはDown In The Park。かつてMarilyn MansonはSweet DreamsのシングルCDでカバーバージョンを発表した。また、Girls Under GlassはNightmaresというアルバムでDown In The Parkをカバーしている。
Gary Numan×Marilyn Manson×Girls Under Glassという図式は奇妙なつながりを感じる。同様に、今年になってNINとPeter Murphyのコラボレーションライブ''Nine Inch Nails versus Bauhaus''を聴いたが、これも奇妙なつながりだ。Trent Reznor×PETER MURPHYという図式は意外な組み合わせでNINの曲をPETER MURPHYが歌っているのも不思議な感じがしたが、David BowieとNINがコラボレーションしたI'm afraid of Americansという作品があることを考えるとこの組み合わせもあり得て然り(ツアー中にDavid BowieがJoel Peter Witkinの写真集をTrent Reznorに贈ったという逸話もあるようだ)。
ちなみにJoel Peter Witkinという写真家は死体を使った写真を多く発表している。Joel Peter Witkinの写真にはあってはならない何かがつねに共存している。私は写真を見るたびに、人間とは、そして人生とは何か? ということを考えさせられる。またはかつてのアウシュヴィッツ、または戦争によるMass Murderがもたらした世紀の悲劇を思い起こさせられる。映画「地獄に堕ちた勇者ども」の舞台となった戦時中のベルリンにも同じような危機感を感じる。ベルリン。それは旧東ドイツの首都。 EINSTÜRZENDE NEUBAUTEN とBirthday Partyが出会った街だが、街を歩くとあちらこちらに点在している印がある。その印にはかつてその場所に生きながらアウシュヴィッツに収容された人たちの名前が記され、過去の惨劇を忘れてはならないという戒めとユダヤ系の人種に対する敬愛を表しているともいう。
Wim Wendersの映画''ベルリン天使の詩"でもベルリン、またはベルリンの壁が撮影されていたが、かつてベルリンにはたぐいまれな喧噪、退廃があった。日本において退廃とは、一部の人にしか共鳴できない事柄かもしれないが、成熟を経て、時代は退廃し、そして新たに生まれ変わる。時代というものはつねにその繰り返しのような気してならない。
裏路地をなんどもくぐり抜けると・・・
このような、近づく舟を美しい歌声で沈没させることはない両性具有のローレライの亡霊が守るような奇怪な建築物が現れる。ヨーロッパでのゴシックとは、このような建築物の中に古くから息づいていたものだ。ゴシックで思い出したが、そもそもゴシックとは、何だろう。クトゥルー神話体系を創り上げたラヴクラフトや怪奇文学の祖のひとりポーなどが開拓/推進したゴシック文学の系譜があることも忘れてはならない(幻想文学というジャンルもあるが、今回は割愛する)。
(写真はそれぞれベルリンの裏通りにて撮影)
話は戻るが、Nine Inch Nails versus Bauhausについては
http://ninnewsfr.mihalis.org/bauhaus2006.phpで現在は試聴した。
インタビューでTrent Reznorは20年も前にBauhausになんらかの影響を受けたというような事を語っていた。記憶違いかもれしないがどこかでその記事を読んだ。
音楽は巡り巡る。
瞳を閉じれば、舞台の幕が開く・・・
BGMはErik Satie"世紀ごとの時間と瞬間の時間(Heures Sséculaires et Instantanées)"
Gary Numan×Marilyn Manson×Girls Under Glassという図式は奇妙なつながりを感じる。同様に、今年になってNINとPeter Murphyのコラボレーションライブ''Nine Inch Nails versus Bauhaus''を聴いたが、これも奇妙なつながりだ。Trent Reznor×PETER MURPHYという図式は意外な組み合わせでNINの曲をPETER MURPHYが歌っているのも不思議な感じがしたが、David BowieとNINがコラボレーションしたI'm afraid of Americansという作品があることを考えるとこの組み合わせもあり得て然り(ツアー中にDavid BowieがJoel Peter Witkinの写真集をTrent Reznorに贈ったという逸話もあるようだ)。
ちなみにJoel Peter Witkinという写真家は死体を使った写真を多く発表している。Joel Peter Witkinの写真にはあってはならない何かがつねに共存している。私は写真を見るたびに、人間とは、そして人生とは何か? ということを考えさせられる。またはかつてのアウシュヴィッツ、または戦争によるMass Murderがもたらした世紀の悲劇を思い起こさせられる。映画「地獄に堕ちた勇者ども」の舞台となった戦時中のベルリンにも同じような危機感を感じる。ベルリン。それは旧東ドイツの首都。 EINSTÜRZENDE NEUBAUTEN とBirthday Partyが出会った街だが、街を歩くとあちらこちらに点在している印がある。その印にはかつてその場所に生きながらアウシュヴィッツに収容された人たちの名前が記され、過去の惨劇を忘れてはならないという戒めとユダヤ系の人種に対する敬愛を表しているともいう。
Wim Wendersの映画''ベルリン天使の詩"でもベルリン、またはベルリンの壁が撮影されていたが、かつてベルリンにはたぐいまれな喧噪、退廃があった。日本において退廃とは、一部の人にしか共鳴できない事柄かもしれないが、成熟を経て、時代は退廃し、そして新たに生まれ変わる。時代というものはつねにその繰り返しのような気してならない。
国境や人種が違っても時代というものはつねに構築と破壊を繰り返すことによって生きながらえてるのだ。時代というものはつねにCollapsing New Building(つまり EINSTÜRZENDE NEUBAUTEN)という宿命を文明の発達の見返りとして内包しているのだ。
旧東ドイツのベルリンについて考えるべきことは多く、ギュスタフ・マーラーもドイツで活動していたユダヤ人の一人だったことを考えるとドイツの奥深さにはまだまだ語るべきことが残されている気がしている(Wim WendersはPina Bauschを題材にした映画を撮っているという噂もあるが、完成が楽しみである。)。
さて、ベルリン。私もベルリンの街を徘徊したことがあるが、特に夜になるといかがわしいネオンサインが廃墟のような街に灯される地区があり、不思議な静けさが街を覆っていた記憶がある。最近は治安は良いというものの深夜の裏通りをひとりで徘徊する時には背後に恐ろしい気配が常につきまとっていた。
裏路地をなんどもくぐり抜けると大通りに突き当たる。時には何度も墓場に連れ戻され、大変な苦労をして家路についたこともある。
裏路地をなんどもくぐり抜けると・・・
このような、近づく舟を美しい歌声で沈没させることはない両性具有のローレライの亡霊が守るような奇怪な建築物が現れる。ヨーロッパでのゴシックとは、このような建築物の中に古くから息づいていたものだ。ゴシックで思い出したが、そもそもゴシックとは、何だろう。クトゥルー神話体系を創り上げたラヴクラフトや怪奇文学の祖のひとりポーなどが開拓/推進したゴシック文学の系譜があることも忘れてはならない(幻想文学というジャンルもあるが、今回は割愛する)。
(写真はそれぞれベルリンの裏通りにて撮影)
話は戻るが、Nine Inch Nails versus Bauhausについては
http://ninnewsfr.mihalis.org/bauhaus2006.phpで現在は試聴した。
インタビューでTrent Reznorは20年も前にBauhausになんらかの影響を受けたというような事を語っていた。記憶違いかもれしないがどこかでその記事を読んだ。
音楽は巡り巡る。
瞳を閉じれば、舞台の幕が開く・・・
そして、いよいよ来る5月28日はマダム・エドワルダ久々のライブ。
気合いを入れて臨む。
BGMはErik Satie"世紀ごとの時間と瞬間の時間(Heures Sséculaires et Instantanées)"