世界は揺らいでいる。
否、世界は揺らいではいない。
病んだ世界は揺らぐと思うか?
まるで、禅問答である。永遠に続く。
まるで、夏目漱石の『夢十夜』。第二夜に「無」の一字を思いつめて煩悶する侍が出てくるが、我々が悟りに至るためには修行が足りない。浮き世の出来事に一喜一憂していては、悟りの道にはほど遠い。ましてや“悟り”には知的な解釈や思想的な説明は邪魔になる。現代人には到底、難しい。“悟り”など、もはや必要ではないのかもしれない。
禅には無(悟り)が。善には悪(煩悩)がつきまとう。今日の続きはいつ来るのか。いつ来るにしても一日の終わりに思うのは、明日からの幸せ、希望であってほしいものである。私はしばし、浮き世ばなれをして、瞑想にふける。瞑想の中に、自らが与えられた運命、使命を感じる。
ジャンコクトーはかつて、こう語った。
「世界が混乱しているように見えるのは、見ている方が混乱しているに過ぎない」と。ここ数日、Robert WyattのNothing Can Stop Usの「At last I am free」を聴いていた。歌詞は何を歌っているのか。
At
last I am free
I can
hardly see in front of me
I can
hardly see in front of me
And
now love please listen
To
what I say
I
can't go on living life this way
I've
tried and I've tried
To
make you see
You
call this love
All
this lying, my friend, it just can't be
At
last I am free
I can
hardly see in front of me
I can
hardly see in front of me
And
now love, please hold me
Come
closer, my dear
It
feels so good, just having you near
But
who am I fooling
When I
know it's not real?
I
can't hide
All
this hurt and pain inside I feel...........
さて、At
last I am free。
理由はさておき、惹かれる。
聴けば聴くほど、切ない。
世界の果てで、聴きたい曲のひとつである。
癒しなどという生やさしいものではなく、人間の魂の奥底から発せられる鬼気迫る感情がこのやさしいメロディに隠されていると、当時感じた。それは今聴いても、変わらない。
恐ろしくも、美しい。儚くも、美しい。
それが音楽である。
BGMはDivine MuzaK "La Femme Inègale"